「良い香りだね」
気が付いたら、そう言って笑っていた。
騒がしい教室の中、彼のまわりだけあまい空気で満ちていた。
彼はパチパチと二、三度瞬きをして、じっと私を見つめていた。
何のことか考えるように首を傾げてから、彼――内海くんは頷いた。あごのラインがすっきりしてるから、頷く動作がかっこいい。茶色っぽい長めの髪が、はらりと頬にかかった。あまい、とろけるような匂いがふわりと漂う。
「ああ、今日は香水つけてるんだ」
「へぇ、内海くん香水つけるんだ? 大人みたいだね」
私が感心して言うと、内海くんはそんな大したことじゃないよと笑った。
十分大したことだと思うけどなぁ……。
たとえ消しゴムやリップクリームでも、全く"香り"にこだわったことのない私にとって、『コースイ』なんて物を男の子が自分で買ってくるなんて、とてもじゃないけど信じられない。
――あ、でも内海くんならなんか分かるかも。
なんだか雰囲気大人っぽいし、なんていうのか――キザ、なんだよね。わりとサラっと何でも言っちゃうタイプ? それも、かっこつけとかじゃなくて、普通に。
ぼうっとそんなことを考えていたら、
「いや、ホント今日はたまたまなんだよ」
「たまたま……?」
私が繰り返すと、内海くんは大きく頷いた。
「うん。こないだ百貨店に行ったら安売りしてたんだ。それで」
安かったから? ……ってことは、衝動買い? 内海くんが? ――へぇっ、意外だなぁ。内海くんにもそういうの、あるんだ。
「私、内海くんって何でも計画通りにできちゃうタイプだと思ってた」
「え? そうかなぁ……、何でそう思うの?」
思ったことをそのまま口にしただけなんだけど、内海くんは驚いたみたいだ。そんなに意外かなぁ。でも、考えてみたら――、何故だろう?
えーと……、
「なんか……イメージ、かな」
「イメージ?」
「うん。ほら、なんか内海くんってテキパキしてるイメージがあるんだよね」
「なるほど……、イメージか」
呟いて、内海くんは考えこむように視線をつま先にやった。その拍子に、またあのあまい香りが私の鼻腔をくすぐった。そういえば。
「ねぇ、内海くん。その香水って何の香りなの?」
「ローズ。薔薇だよ」
間髪入れず、答えが返ってきた。なるほど、バラってこんな香りなんだ。確かにこのあまい香りは、あの豪華な花によく似合うだろう。
でも、よーく考えればちょっと気になるなぁ。内海くんは衝動買いだって言ってたけど、ホントにそれだけかな? 香水なんて、安かったって理由だけで買うだろうか。それもバラの香りだし。大体買ったとしても、学校までつけて来ることってあるかな? 気になる子がいるって考えた方が自然じゃない?
そう思ったら、がぜん興味が出てきた。
「もしかしてその香水、好きな子のためにつけてきたんじゃない?」
「え!? いや、違う……よ」
驚いたように言う内海くん。でも、今眉がピクって動いたの、見逃さなかったもんね。
「でも、買ったからって学校にまでつけてくるかな? 気になる子がいるって考えた方が自然じゃない?」
「……」
「ね、ね。このクラスの子?」
黙ってしまった内海くんに、重ねて訊いてみる。さすがに顔色は変わんないけど、何度も頭を掻いたり、頬をさすったり――。内海くんにしては珍しく、あせってるって良く分かる。
「いーじゃん。バラさないよ、私口堅いし。ね!」
言われて内海くんはちょっと悩んでたけど、どうも言う決心がついたみたいだ。一回大きく頷いた後、私をまっすぐ見つめてきた。
「じゃあ、言うけど」
「うんうん!」
キザな内海くんの好きな人! 気になるなぁ、誰だろう?
「僕の好きな人は――、」
息を止めて、内海くんの目を見て次の言葉を待つ。ゆっくりと内海くんの口が開かれて、
「君だよ」
――、
え?
「は? いや、あ、えっと……、それはどういう……?」
「だから、僕は君が好きなんだ。二年F組の君が好き。二列目前から三番目に座ってる君が好き。君の滑らかそうな髪が好き。優しそうな目が好き。楽しそうな口元が好き。話すとき、まっすぐ相手の目を見るところが好き。僕は君の――岡田さんの、全部が好きだ」
内海くんは一息にそう言って、じっとわたしを見つめてる。私も内海くんを見つめてる。最後に呼ばれた私の名前が、たくさんの言葉と一緒に踊ってる。
あまくとろけるバラの香りが、私たちのまわりをつつんでいた。
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